8月1日はテームズの建町150周年でした。
テームズは、1867年8月1日の調停式から金採掘りが発足し、町として栄えてきました。現在は金鉱堀はされていませんが、このたび町開きから150年の歴史を記念して盛大なお祭りが行われました。Evakonaもテームズ市から招待を受けたので、参加してきました。続きを読む
先週、久々に休暇をとって夫と共に愛犬ベンジーを連れて北島の上の方にある、パイヒア(Paihia)というところに行ってきました。
パイヒアは海辺に面した夏の人気リゾート地ですが、対岸にはニュージーランド最初の首都だったラッセル(Russel)という小さな町があり、また1840年 に先住民族マオリ族とイギリス王権の間で結んだワイタンギ条約の地Waitangiからも車で5分という、まさにニュージーランドの歴史の発祥地です。続きを読む
いじめより離婚に悩む子どもたち
今回は、4月22日付ニュージーランド・ヘラルド紙に「Stressed children talk to the dead」(悩みを抱えた子どもは死んだ者と話す)という変わった見出しの記事が載っていたので紹介したい。
その記事は「悩みを抱えた子どもたちはしばしば既に亡くなった親族やペットと話すことで彼らの問題に対処している」と始まっている。
8歳から12歳のニュージーランドの子どもを対象に行われた「ストレスを与える問題は何か」という調査研究。質問を受けたある子どもは「ペットは大事な存在だから、死んだらとても悲しい。誰も話す相手がいないときはペットと話すんだ。ペットは返事をしてくれないけれど、話すと心配が消える」と語ったという。
またオークランド大学で国民の健康調査をしているフィオナ・ピエナーさんは「子どもたちにストレスを与える一般的な要因は29あり、そのほとんどは学校と家族生活からきている」と指摘している。続きを読む
アメリカ人にとって5番目に住みたい国ニュージーランド
2010年1月13日付けのニュージーランド・ヘラルド紙によるとアメリカの雑誌インターナショナル・リビング(国際生活)の行った「世界の住みたい国指数」でニュージーランドは昨年の9位から4位あがって、今年は5位になったという。
インターナショナル・リビング誌はニュージーランドを地球の反対側の辺境の地としたうえで、「あっと驚く美しさ」でもアメリカから飛行機で12時間もかかるうえ、移民しにくいという「不利」もあると指摘している。
このアメリカの統計は退職者や移民を希望している人に向けて行われたもので、世界の国々の中から生活費、文化、レジャー、経済、環境、自由、医療、社会構造、安全性、危険度、犯罪率などの観点から生活水準の高い順に198位までランキングしている。
今年の調査では海に面したオークランド(ニュージーランド最大の都市)と南アルプスを「清純な風景」-神の聖域と呼び、若い移民が移り住んで家庭家生活を営むのにふさわしいところとしている。また、いい意味でニュージーランドの不動産は値上がり傾向であるとしている。続きを読む
独創性に富んだキーウィー魂(マクリーンえり子)
キーウィー(ニュージーランド人)は自分でなんでもやる国民(Do it yourself)といわれているが、確かにこの国では自宅の改造から自家用車の修理まで、できることはすべて自分たちでやってしまうのが一般的だ。私の住む人口4000人の町でも自家用飛行機やヨットや家を自分で作ってしまった人を何人か知っている。
そんな国民性なので、これまでもアッと驚くような手作りの記録や発明が成されている。
アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」(2005年)という映画をご覧になったことがあるだろうか。自分で改造したオートバイで世界のスピード記録に挑戦したバート・モンロー氏(1899~1978年)というキーウィー・ガイ(ニュージーランド男)の話だ。彼はニュージーランドの南島のインバーカーギルという町に住んでいたが、21歳の時に買った600ccのIndian Scout を生涯改造し続けた。そして63歳になった1962年には850ccに改造した、赤い弾丸型のカバーを付けた愛車で、アメリカ・ユタ州のソルトレイク、ボンネビル・ソルトフラッツ(塩原自動車スピード試験場)でのスピード記録に挑戦し、その時には時速178.971マイル(時速288キロ)という最高スピード記録を出している。そしてその後も彼は愛車の改造をし続け、950ccまでに改造したオートバイで1967年まで記録を更新し続けた。続きを読む
世界一「平和な国」は景観もトップ級
イギリスの経済誌が世界144カ国・地域を分析し発表した2009年の「世界平和度指数(Global Peace Index)」によると、アイスランドに代わってニュージーランド(前年4位)が「世界一平和な国」に選ばれた。
アイスランドは昨年9月の主要銀行倒産以来、治安が乱れはじめ、国内の犯罪率が悪化した。一方、ニュージーランドは今年も低い犯罪率と殺人率を維持し、国を挙げての人権擁護姿勢や新政府による軍事費の削減などが着目されたという。
現在、ニュージーランド与党である国民党は支持率も上々で、新首相ジョン・キー氏は人望も厚く、党内でも安定した地位を保っているため、新しく掲げる政策をつき進めていく上でも期待されている。
ちなみに2位は同ポイントでデンマークとノルウェー、4位がアイスランド、5位がオーストリア、6位がスウェーデンで、前年5位だった日本は7位だった。続きを読む
夏の名残を惜しむかのように、4月になっても日中はまぶしいほどの快晴の日が続いていますが、さすがに朝晩の訪れは早くなりました。そしてついに4月の第1日曜日の朝、6カ月続いたデーライト・セービング(夏時間)が終わり、ニュージーランド全土の時計がきっちり1時間戻されました。これからの半年間は日本との時差は3時間となります。(10月から3月までの夏の間は4時間、日本より早い)
そのデーライト・セービングが終わった週末、私の住むフィティアンガの町では今年初めての大規模な空、海、陸のスピード祭りが催されました。現在、地元で大々的に行われている人工運河の造成とその分譲、そしてフィティアンガの町の未来都市計画を手掛けている開発業者が出資して行いました。町の商店主や陸、海、空の地元クラブの協力を得て、美しい海岸と条件の良い滑走路を持つフィティアンガ空港、車のレース場を使っての大祭典となりました。
その週末、フィティアンガ空港の滑走路にはニュージーランド空軍のアクロバット機と飛行チーム、ロシアの戦闘機とそのアクロバット飛行チーム、16人乗りの水陸両用機、大型レスキューヘリコプター、その他たくさんの小型飛行機が北島のあちこちから集まり、町の海岸には各種のスピードボート、ピカピカに磨かれたクラシックカーなどが勢ぞろいしました。続きを読む
3月に入り、ニュージーランドは秋の盛りです。日中の気温はまだまだ暑いですが、朝晩はひんやりとした空気が気持ちのよい季節となりました。
2月の初めから3週間を日本で過ごして帰国してみると、わが家の10エーカー(約4ヘクタール)の庭のブラックベリーの茂みはフルーツの最盛期を終えていました。去年は夕方になると長靴を履き、日本製の竹ざるを持って敷地の境界線に生えるブラックベリーの茂みを歩き回わったものです。
小一時間もするとその日に熟した黒くて甘いバラックベリーが、ざる一杯になります。ブラックベリーの木は棘(とげ)だらけですから長靴で足を守り、摘むときは指を刺されないように気をつけなければなりません。そうして摘んだブラックベリーはリンゴと一緒に煮てパイにしたり、ジャムにしたりします。そして余ったものはそのまま冷凍して1年を通して使います。
ブラックベリー収穫は逃したものの、今年は3月の初めに帰国してみるとマッシュルームの収穫が待っていました。かさの部分が白く内側が茶色いシイタケのような大きさと形のマッシュルームが、この秋には家の敷地内の牧草のあちこちに顔をだしていて、1週間ほど私と夫はざるを持って毎日集めて回りました。摘んでも摘んでも次の日には同じところにまた次のマッシュルームが育っていて、それは不思議なほど早い成長です。10エーカーの庭からの収穫は夫婦2人では食べきれませんでした。続きを読む
先住民族伝統の儀式で新学期スタート
南半球にあるニュージーランドは今、夏です 。こちらの小・中・高校では7週間におよぶ長い夏休みが終わり、2月2日から新学期が始まりました。ニュージーランドの多くの学校では新学期の初日は、その年の新入生のためにニュージーランドの先住民マオリ族の歓迎儀式「ポーフィリ(Powhiri)」を行ないます。私の住む北島のコロマンデル半島にあるテームズ高校でも、新入生のためのポーフィリが行われました。
朝の9時から儀式は始まり、日本からの留学生を含む180人ほどの新入生が全員学校内のマライ(マオリ集会所)入り口に勢ぞろいしました。学校側からは校長先生をはじめとする先生方、マオリ文化継承会の学生たちが迎えます。
女性の声で独特の節をつけたマオリ語が響くと、それが合図で儀式が進行します。受け入れ側代表として校長先生は英語とマオリ語で、マオリ語の先生はマオリ語で新入生に歓迎のスピーチをし、続いてマオリ文化継承会の学生たちがマオリ語で歓迎の歌を歌います。
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